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■西都原発「考古学ノート」 (1)「基底への視点」
 歴史は変っていくものではなく、重ねられていくものではないか、という思いがわたしにはある。流布する歴史年表とは別に、いわば不可避的に描かざるを得ないわたしの歴史年表は、旧石器文化の上に縄文文化が重ねられ、さらにその上に弥生文化が、そしてその上に古墳文化が、というように重層化していくものとして想定されている。こうして見た時、わたしたちはいままでと違った歴史像を描くことができる。

 変化は捨て去ることではなく積み重ねることである。重ねられ、その分だけ底に、基底へと埋めこまれていく文化がある。それは廃絶されていく文化ではなく、物質の廃絶とは無関係に観念の基底に形成される文化である。

 旧石器時代と縄文時代の間には、狩猟・採取といった生業形態の上からいえば、大きな区別は存在しない。そして、弥生時代から古墳時代へは、前方後円墳の出現に一つの区切りを置くとしても、その展開の水稲農耕に関る組織性・政治性といった基礎はほぼ一本道といってよい。したがって、大きくは「稲作以前」の文化と「稲作以後」の文化とによる重層化が、この列島弧の歴史にとって焦点になる。しかし、まだ多くの呪縛が、わたしたちの歴史を見る目を狭くしているといえる。

 『記・紀』(古事記・日本書紀)の記述を、今後どのようにひっくり返してみたところで、新しい文字面が現れてくるわけではない。結局は、解釈の違いにしか行き着かないように思われる。

 しかし、一方では考古学の成果の蓄積には著しいものがあり、それらはまさに直接生きた人々の具体的な痕跡として、歴史をわたしたちに伝えてくれる。考古学の発掘調査は、大地に刻まれた歴史を読み込む行為である。1ページ1ページめくるように、一層一層土を剥ぐたびに、数百年、数千年、時には数万年の歴史の痕跡が目の前に立ち現われてくる。

 それにしても、この現代社会に生きるわたしたちに、わざわざはるか遠い過去の記憶に立ち戻る必要が果たしてあるのだろうか。加速度をつけ、めまぐるしく変化する現代社会。一年前のことが、十年前のことのように色褪せていく今日。そこには直接的な切実感はないように思われる。

 だが、人の一生という個人史が「三児の魂百まで」に始まり、「思春期の人との出会いは一生を左右する」を経て、「顔は人生の履歴書」にいたるまで、過去が現在の個人に抜き差しならない根拠を持っているのと同じように、やはりどのように変化を受け入れようと、消し去ることのできない過去を潤色なく理解しておく必要がある。その意味で、古代への旅は単にロマンの旅だけではなく、現代社会を規定する大きな礎を再確認する旅である。

北郷泰道 著「熊襲・隼人の原像―古代日向の陰影―」(平成6年 吉川弘文館 刊)より
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